「仕事が暇なほうが楽で幸せ」
忙しい人ほど、そういう勘違いをしている人が多く、
そういう人たちは 社内失業者を誤解しやすい。
楽な仕事は本当に幸せか?
日本でいちばん大切にしたい会社(坂本光司)という本の内容を
一部編集を交えて載せたいと思います。
ーーー
障害者の採用をしている中小企業での話。
社長には、一つだけわからないことがありました。
どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。
なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」と言うと、
泣きながらいやがる障害者の気持ちが、はじめはわからなかったのです。
そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。
するとお坊さんは
「そんなことは当たり前でしょう。
幸福とは、
①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。
そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。
この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」
と教えてくれたそうです。
「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。
だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。
施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。
真の幸せは働くことなんです」
普通に働いてきた大山さん(社長)にとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。
これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。
―――(引用終)
これを読んで、私も、社内失業になって初めて、働くことの意味、大切さ、幸せとはなにか、など今まで気づかなかったことに気付けたと思いました。
それと同時に、社内失業がどうしてつらかったのかも改めて理解しました。
コメントの中で社内失業者を経験した方から、「頼りにされるからこそ、出来る限り精一杯応えたい気持ちでいっぱいになる」「特に得意分野で頼りにされることほど嬉しいことはありません。これまで真面目に勉強してきてよかったと思ってます。」という言葉がありました。
普通に仕事があって働いている人たちにとって、普段なんとなくは感じていても明確には認識していないような部分だと思います。社内失業を経験したからこそ、働ける喜び、人に必要とされる喜びに気付くことができる。
普通に仕事があって働いている人たちにとって、普段なんとなくは感じていても明確には認識していないような部分だと思います。社内失業を経験したからこそ、働ける喜び、人に必要とされる喜びに気付くことができる。
ただ、運よくそういう環境や周りの人間関係があればいいが、ない場合はどうか。
自分は変われても環境や他人は変えられない。
他人に認めてほしくても、必要とされたくても「私を必要としてください。」なんて言えない。もはや言いたくもない。
もしくは、その他人に人として必要とされたいとさえ思えない。
さんざん放置プレーされたあげくにいまさら必要とされても応えたくない。
社内失業が長期化すればするほど、素直に仕事をする気持ちは萎えていくんですよ。
前に引用したお坊さんの幸福論に沿って考えれば、
末期の社内失業者は社会における自分の幸福を放棄しちゃってるわけです。
末期社内失業者
①人に愛されること → 会社以外(家庭・趣味)で実現可能なので略
②人にほめられること → 会社では誰からも認められなくたっていいやと割り切っている(諦め)
③人の役に立つこと → 役に立てるわけがない(自信喪失状態)
④人に必要とされること → 今さら都合よく必要とされても癪。(反抗)
つくづくひねくれてるね。
でもこうならざるをえない長期的な精神疲労があったんです。
ブログのコメントなどから、私だけがひねくれじゃないことを知って、勇気づけられました。
いや、ひねくれの自己養護かもしれないけどw
「もともと自分は素直な性格だったのに、ひねくれてしまう自分がいます。」なんてコメント、自分かと思ったし。
私は、今の会社に勤める前の、もっと善良で、言われなくても会社にとって有益な行動を選んでとっていた、「あの頃のわたし」を懐かしく思います。
あの頃、社会、会社に対して感じていた責任、常にいい仕事をしよう、という向上心。自尊心。
この数年ですべて亡くなってしまいました。
はぁ・・・
またこういう話書いてるとトコトン恨み節になってしまった…。
私がどこかのオーナーだったらこんな人間雇わないでしょうな。うん。
異動しても、同じ会社にいる以上、いや、同じ社会にいる以上?
こうした考え方、過去のストレスが影響を及ぼし、会社生活は結局あまり充実していない。
社内失業とまではいかない状況かもしれないが、
あいかわらず心は社内失業者のままでいます。
環境(働く場所)や人間関係(毎日一緒に働く人)はほぼ変わったので、またやり直せるチャンスかと思いましたが、異動前と同じ直属の上司が指示系統に関わっていることがネックになっているのか、どうしてもまだ立ち直れない自分がいます。
こんなはずじゃなかった、と、過去を振り返って、自分のした転職のことを考えたりしますが、「過去や今のことを考えても前進できない。未来をよくすることに時間を使おう」と思って行動することにしてます。なかなか難しいけどね。
コメント
コメント一覧 (5)
わかるだけで気が少し楽になりました。
僕の会社は従業員数一桁で、
僕以外激務です。
最近も他のみなさんは3日連続徹夜でしたが、
ぼくはいつだって帰れるぜ!状態でした。
居心地悪かったー。
ちなみに、
文章めちゃくちゃ達者ですね。
文法で変なところがほとんどない。
一応文章のプロなので、
的外れなことは言ってないと思います。
「そもそも文章のプロじゃ!」
ということでしたら、失礼しました。
次の更新楽しみにしてます!
今月末に大阪で大きなイベントがあるので、みんな毎日残業して忙しそうです・・・私以外(^_^;)
うちの職場も「ジャムを持参」様と同様、新入社員入れてようやく10人超えるか超えないかぐらいなので、そんな中でみんな忙しそうなのに、私一人だけ暇してるのは正直、「針のムシロ」ですが、もう慣れましたwww最近は開き直って、副業や翻訳の宿題やりまくってます。
それでも最低限の「自己防衛」は怠りませんがw
人間の4つの幸せ、私の場合は、ほぼ管理人様と被りますが、
①人に愛されること→家族や信頼できる友達(会社以外の人間関係)
②人にほめられること→友達、学校や副業関係で知り合った仲間(すなわち社外人脈)
③人の役に立つこと →②と同じくwww
④人に必要とされること →以下同文
ですかね。
皮肉なことに、社内失業したからこそ、自分のスキルを磨くこと、時間の大切さ、人から認められ、頼りにされることの大切さを痛いほど学ぶことができました。
さらに、「本当の自分の居場所」求めてあがきまわった結果、わかったのは私が求めていたもの(仕事のやりがい、スキルを磨く場所、お互い切磋琢磨できる人間関係)は、全て「会社の外」にあったということです。これもまたなんとも皮肉なことですがwww
前のコメントにも書きましたが、最近、学校、副業から人脈がどんどん広がって行って、この会社にいたら絶対に出会うことのできなかった楽しく個性的で素晴らしい人たちと巡り会えてます。
おかげで今は、卑屈になることなく、「会社は最低限、生きていくためのお金を得る場、それ以外でも以下でもない」と完全に開き直ることができました。
会社は給料以外、なんの未練もありません。願わくば、早く副業を軌道に乗せて、「会社に頼らず。自分で食っていける」ようになれるのが今一番の願いです。
コメントありがとうございます。
社内失業の人が私のブログを読んで
気を楽にしてもらうのが目的で始めたブログなのでよかったです。
>最近も他のみなさんは3日連続徹夜でしたが、
>ぼくはいつだって帰れるぜ!状態でした。
>居心地悪かったー。
これだけ聴けば、「手伝えば?」って言われちゃいそうですが、
そうできない事情がいろいろあるのが社内失業ですよね。
文章のプロなんですね。
私はまったくの素人ですが、分かり易い文章になるよう努力はしています^^
またブログ遊びにいらしてください。
周りが忙しそうな中自分だけ暇って本当想像を絶するぐらいきついものがありますよね。
ただ、肉体労働のきつさや物質的搾取と違って、自分の気持ち次第で解決したりもするのがいいところ。
開き直れたならよかったです。
>会社は給料以外、なんの未練もありません。願わくば、早く副業を軌道に乗せて、「会社に頼らず。自分で食っていける」ようになれるのが今一番の願いです。
いいですね!
私も今そういう軌道に乗りたいと思っているところです。
人生いろいろ、転職の動機もいろいろあるけど、社内失業をきっかけに、自分を見つめ直して、仕事でもプライベートでも今よりイキイキと暮らせるように、なっていきたいですね^^
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